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YOUの虎の巻はどれだ? [ヒプノセラピー]

ヒプノの歴史を長々とご説明してきましたが、ヒプノセラピーをもっと身近に感じていただくための、お勧めの本を何点かご紹介します。

まずナツメ社から出版されている「図解雑学 催眠」。

図解雑学 催眠 (図解雑学シリーズ)

図解雑学 催眠 (図解雑学シリーズ)

  • 作者: 武藤 安隆
  • 出版社/メーカー: ナツメ社
  • 発売日: 2001/12
  • メディア: 単行本


今回tokageが「催眠療法への長い道のり」を書くにあたって、参考にした本です。催眠の歴史から脳のシステム、催眠誘導の種類や活用法など多岐にわたって書かれており、しかもコンパクトに纏まっているので、催眠を学ぶ方には欠かせない一冊です。残念ながら現在はユーズドのみとなっています。

そしてヒプノセラピーを受けてみたい方にぴったりの「催眠セラピー体験しました!」。

催眠セラピー体験しました!

催眠セラピー体験しました!

  • 作者: 宮咲ひろ美
  • 出版社/メーカー: イースト・プレス
  • 発売日: 2012/06/15
  • メディア: コミック


著者の宮崎ひろ美さんが色々なヒプノセラピーのメニューを体験されています。素直な感想と可愛らしいイラストで読み終わる頃にはヒプノセラピーへの垣根がぐっと低くなっていると思います。

次にtokageの師である志麻絹江女史の「サイキック・セラピー」。

サイキック・セラピー

サイキック・セラピー

  • 作者: 志麻 絹依
  • 出版社/メーカー: ベストセラーズ
  • 発売日: 2006/12/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


アストラル図書館やインナーチャイルド、ソウルメイトなど、スピリチュアルで使われている言葉の数々を解りやすく説明されています。その他様々なヒプノセラピーの誘導スクリプトが載っているので、ヒプノセラピーをされる方の参考になるかもしれません。

そして日本で前世療法をポピュラーにしたブライアン・ワイス博士の著書。

前世療法―米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘 (PHP文庫)

前世療法―米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘 (PHP文庫)

  • 作者: ブライアン・L. ワイス
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 1996/09
  • メディア: 文庫



魂の伴侶―ソウルメイト 傷ついた人生をいやす生まれ変わりの旅 (PHP文庫)

魂の伴侶―ソウルメイト 傷ついた人生をいやす生まれ変わりの旅 (PHP文庫)

  • 作者: ブライアン・L. ワイス
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 1999/08
  • メディア: 文庫



前世療法―米国精神科医が挑んだ、時を越えたいやし〈2〉 (PHP文庫)

前世療法―米国精神科医が挑んだ、時を越えたいやし〈2〉 (PHP文庫)

  • 作者: ブライアン・L. ワイス
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 1997/04
  • メディア: 文庫



未来世療法 (PHP文庫)

未来世療法 (PHP文庫)

  • 作者: ブライアン・L・ワイス
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2009/05/02
  • メディア: 文庫


tokageもワイス博士の著書に夢中になりました。前世療法は鉄板ですよねー。たくさんのクライアントさんのエピソードが載っていますので、普通の読み物としても充分面白いです。

ワイス博士は過去生や未来世のタイムトラベル系に特化して本を書いているので、ヒプノセラピーってそればっかりと思われがちですが。ヒプノセラピーはあがり症や赤面、不安神経症、ダイエットなど様々な心理的問題に対応できます。

これ以外にもAmazonで「ヒプノセラピー」や「催眠」で検索すると、たくさんの書籍が出てきますので、ぜひご自身の虎の巻を発掘してくださいね。
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催眠療法への長い道のり⑥ [ヒプノセラピー]

催眠への長い道のりもいよいよラストです。

18世紀にメスメルが動物磁気による治療を始めてから0世紀半ばまで、催眠は長いこと誤解と偏見にさらされ、胡散臭いものというレッテルを貼られてきました。

しかし第二次世界大戦後、催眠治療で多数の戦争神経症患者が短期のうちに治癒していったことから、催眠の地位は向上し、しだいに世間に認められるようになりました。

1955年にイギリス医学会が、さらに1958年にはアメリカ医学会がそれぞれ医療における催眠の有用性を認定しました。そして1958年には臨床実験催眠学会が中心となって国際臨床実験催眠学会が発足し、2年後の1961年にニューヨークで第一回国際催眠学会会議が開催されました。

こうして催眠が治療法として認められるための長い道のりが、ようやく終わったわけです。ここに到るまで約200年の年月が必要でした。

医療における催眠の有用性を認める一方、イギリス医学会は精神医療で催眠が使えるようにするための教育指導が必要であるとしています。アメリカでは、催眠を使用する上での教育制度の導入も図られています。

日本ではtokageが催眠セラピーを行えるくらいですから、勉強さえしちゃえば、特に資格なしでOKです。正直、良いのか悪いのか・・・。アメリカではセラピストが多いですし、それにともなってトラブルも多いようですので、教育制度の導入や資格は必要といえば、必要なのかも。

日本に催眠がもたらされたのは明治に入ってからのことです。明治初期にはごく一部の人々にその存在が知られていたようですが、一般に広く知られるようになったのは明治半ばになってからです。

当時は催眠術やメスメリズム、魔睡術(爆)といった言葉が使われていました。魔睡術とはまたすごいネーミングです。

そのころの研究者として大沢謙二や井上円了らがいます。また催眠によって医療的治療を行ったものに馬島東伯(まじまとうはく)がいます。

一方、大衆の間では娯楽・演芸として催眠術がもてはやされました。メスメルの時代とまったく同じですな。

明治30年代後半になると、催眠が大流行しました。催眠に関する本が続々と出版され、民間で人に催眠を教えたり催眠を使って治療するものが多数現れたそうです。なぜ催眠が大時の流行したのか非常に興味ありますが、当時の社会情勢がなにかしら影響しているのでしょうか?

明治39年、東京帝国大学助教授で心理学者であった福来友吉(ふくらいゆきち)は「催眠心理学」を著しました。ええ、例の貞子で有名なあの方です。

これは日本で初めて催眠を学術的に体系だててまとめたもので、催眠研究の発展に大きく貢献しました。しかし福来は催眠による千里眼や念写の実験に関わったために、非難され辞職することになりました。

明治41年に施行された警察犯処罰令で催眠の使用に関する規制・取締りが出されたことにより、催眠ブームは急速に去り、学問的研究の動きも鈍くなりました。それでも催眠術は呼び名を変えて存続していきました。

昭和5年、ふたたび政府による弾圧が始まりました。催眠は宗教を隠れ蓑にして生き延び、第二次世界大戦後は各分野でふたたび催眠が研究されるようになり、研究者たちは「催眠術」という言葉をやめて「催眠」という言葉を使うように提唱しました。

宗教を隠れ蓑にして生き延びたっていうのが泣かせますなぁ。当時の研究者達の苦労が偲ばれます。二度の弾圧が祟ったのか、現代日本医療における催眠の地位はまだまだ低いように思われます。むしろ民間のセラピストの方が層が厚い感じですよね。

昔テレビで、アメリカの歯医者さんが麻酔アレルギーの患者さんに、催眠で痛みを感じさせなくする治療をやっているのを観ましたが、日本で同じサービスをやっている歯医者さんってどのくらいあるんでしょう?

きちんと使えば本当に可能性を広げてくれる技術ですので、もっともっと手軽に利用してもらえればと、切に願ってやみません。

と、ゆーことで。みなさん、ヒプノセラピーにレッツ・トライ!!

大丈夫、怖くない・・・。(by ナウシカ)

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  • 出版社/メーカー: ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
  • メディア: DVD



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催眠療法への長い道のり⑤ [ヒプノセラピー]

大変な時期をようやく終えました。疲れたー。

よっぽど凄い形相で仕事していたのでしょう。額と眉間のシワがすんごいコトになっています。オーマイガー!! このままシワが定着したらどうしましょう(泣)。今一生懸命マッサージしていますが、夢の中でも仕事している状態なので、さてはてどれだけ効果があるでしょうか?

さて「催眠療法への長い道のり」の続き。

20世紀に入って、催眠療法に新たな分野が加わりました。それが自己暗示と自己催眠です。

リエボーに指示していた薬剤師のエミール・クーエは覚醒状態で行う自己暗示法を考案し、病気に悩む人々の自己治療に貢献しました。

クーエが考えた「わたしは日に日にあらゆる面で良くなって行く」という暗示文は有名だそうです。彼はこの暗示文他にも患者の症状に合わせて様々な暗示分を考え出しました。

彼はこの暗示分を一回20回程度、一日に何回も繰り返すように指示しました。現代スピリチュアル風に言うとアファメーションですな。

クーエは悪い想像をしていると、どんなにそれに打ち勝とうと努力しても、結局は想像どおりの結果になってしまうことを発見しました。これも現代スピリチュアル界でよく言われていることですね。

まっこと日の下に新しきものなし。


自律訓練法はベルリン大学のJ・H・シュルツ博士が開発しました。「自律訓練法」という言葉はよく心療内科の看板に書かれていますね。アレです。

シュルツ博士は催眠にかけた被験者達の多くが「四肢が重くなったり、温かくなったりする」「体中が温かくなる」「呼吸が楽に出来る」という感想を述べた事に着目し、こうした状態を自己暗示によって作り出せば、人に頼らなくても催眠状態に入れるのではないかと考えました。

こうして生み出されたのが6つの暗示から生み出された標準暗示です。(詳しい内容は面倒なのでここでは省略します)シュルツ博士が生み出した自律訓練法は現在、もっともポピュラーな自己催眠法であり、心身医学の領域で有効な方法として活用されています。

そして現代催眠で忘れてはならないのがこの人、ミルトン・エリクソンです。

彼の催眠誘導の方法や治療の仕方は、それまでのものと違って非常に独創的であり、催眠の概念を書き換えるような革命的なものでした。

それまでの催眠誘導は「あなたは、これから○○をします」というような、直接指示による誘導が主でした。このやり方だと、被験者によっては心理的抵抗が働き上手く催眠状態に入れない場合があります。

しかしエリクソンは普通の会話をしながら、いつの間にか相手をトランス状態に入れてしまうということを、難なくやってのけたのです。

エリクソンのアプローチの重要な概念の一つにユーティライゼーション(利用)があります。患者が表現したもの、もともと持っているものはなんでも利用するという考え方です。これはどんな問題行動を持っていたとしても、患者自身の中にそれを解決するための能力やノウハウが備わっているということです。

これはNLPなどでも使われています。NLP自体が催眠療法から枝分かれしたものですからね。全ては催眠から始まったといっても過言ではないでしょう。・・・たぶん(笑)。

彼の催眠技法はエリクソニアン催眠と呼ばれ、それまでのオーソドックスな伝統的催眠(古典催眠)と区別されています。

エリクソンさんのやり方は催眠をかける方のセンスや手腕が問われる方法だと思います。ある程度型がある方が、やる方としては楽っちゃー楽なんだよねー。なんて言っても仕方ありませんね(笑)。エリクソン以降、古典催眠は廃れていくことになります。
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催眠療法への長い道のり④ [ヒプノセラピー]

これまで「潜在意識と顕在意識の架け橋」というタイトルで催眠療法ヒストリーを書いてきましたが、どーも内容とタイトルが合わないので、今回から変えることにしました。カテゴリも「スピ豆知識」から「ヒプノセラピー」に移しました。以前のタイトルはまた別の記事で使います。

さて前回の続き。

カタルシス療法を発見したブロイエルの、友人の名をジークムント・フロイトと言います。そう、あの精神分析学の権威のフロイトです。

精神分析の権威が実は催眠畑出身だったというのは意外な事実ですが、催眠療法の歴史の長さを考えるとまぁ、ありかなと。

元々フロイトは自然科学者でしたが、留学奨学金を得てフランスで催眠を学び、ベルネームの指導を受けたこともあります。彼はウィーンに戻ってから、ブロイエルと協力してヒステリーの研究に当たり、精神治療の分野に新しい観点をもたらしました。

ブロイエル&フロイトは、ヒステリーの背景には過去の不快な経験や苦痛な出来事が存在している点に注目し、そのときの不快な感情や記憶が無意識の中に抑圧されてしまったために、症状が引き起こされるのだと考えました。

そこで催眠中に問題の原因となった過去の記憶を思い出させ、心の底に押し込められている感情を発散させてやれば症状はなくなると考えました。これをカタルシス療法と呼びます。

カタルシス療法は、それまでの暗示によって症状を取り除く従来の催眠療法とは異なる画期的な療法でした。と・こ・ろ・が!

このカタルシス療法によって症状が消えても、しばらくするとぶり返してしまうという現実に突き当たりました。

せっかく編み出した治療法が無意味だったことに絶望したのか、結局フロイトは治療に催眠を使うことをやめ、心の中に浮かんでくることを思いつくままに話してもらうという、自由連想法を生み出しました。これが精神分析の始まりです。

フロイトはあまり催眠の技術に関しては優秀ではなかったようで、やがて催眠を離れていきます。この事で精神医学における催眠治療の地位は失墜していきます。

フロイトが催眠を退いてのちも、一部の研究者達は地道に催眠の研究を続けていました。

催眠療法がふたたび日の目を見るようになったのは、第一次世界大戦以降の事です。第一次世界大戦は「兵器がもっとも進化した戦争」と呼ばれ、その後遺症に苦しむ人々をたくさん生むことになりました。

以前TVでその当時のフィルムを見たことがありますが、毒ガスや爆弾の爆音などで神経を侵され激しい痙攣症状などを起こす元兵士達がフィルムに納められていました。

たとえ五体満足で戻ったとしても、戦地で常に死の危険にさらされ続けた兵士達は、その恐怖や不安、葛藤や喪失感に悩まされるだけでなく、戦闘場面の記憶がフラッシュバックして苦しめられます。これが戦争神経症です。今で言うところのPTSD(心的外傷後ストレス障害)です。

大量に発生した戦争神経症の患者に対して、精神分析では対応しきれなくなりました。時間がかかりすぎることと医師の不足です。そこで短期間で治療が行える催眠療法が注目されるようになりました。
 
英国のハドフィールドは患者をトラウマとなった戦争場面まで退行させ、そのときの恐怖やショックを解放して症状を取り除きます。これはブロイエルの行ったカタルシス療法を取り入れたものです。これによって大勢の戦争神経症の患者が救われました。

しかし催眠治療が医学の世界で正式に認可されるようになったのは、第二次世界大戦後の事でした。

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催眠療法への長い道のり③ [ヒプノセラピー]

本格的に催眠療法のジャンルを確立したのが、フランスの片田舎で開業していた医師のリエボーとナンシー医科大医学教授のベルネームのバディ(笑)です。

リエボーは最初メスメリズムの研究から催眠の世界に入りましたが、ブレイドの影響を受け、凝視法と言語暗示による催眠療法を行うようになりました。

催眠療法をマスターしたリエボーは、貧しい人々に無料で治療を行いました。

田舎町の開業医だったリエボーがナンシー医科大学教授のベルネームと知り合ったきっかけは、彼がベルネームの患者を治療したことから始まります。

長年坐骨神経痛で苦しんでいたその患者は、リエボーの催眠療法によってすっかり良くなったそうです。この結果にベルネーム君がむっかり来たのも無理はありません(笑)。

なんたって自分はナンシー医科大学の教授、片や催眠療法なんて訳のわからないものをやっている田舎町の開業医。

しかし直接リエボーに会い、その治療場面を自分の眼で確かめたベルネームはリエボーの治療法に価値を認めざるを得ませんでした。これを機にふたりは生涯のパートナーとなり、協力して直接暗示による催眠治療を精力的に行っていくようになります。

きっとリエボー君の人柄が良かったのも大きいでしょう。どんなに優れた名医でも人間性が悪かったら人はよりつきませんからね。

ベルネームの著書「暗示とその治療への適用」で二人の名はヨーロッパ中に知らしめることになります。そして彼らの治療法を学ぼうと、各国から多くの医師が集まるようになり、催眠研究に加わっていきました。リエボーとベルネームらの研究グループは後にナンシー学派と呼ばれるようになります。

直接暗示法とは暗示される側がはっきりとわかる暗示の事を言います。例えば「あなたは緊張しなくなる」のような感じです。暗示による催眠療法が確立されてからしばらくの間、直接暗示による治療が行われていました。しかし19世紀末に新しい催眠療法が生み出されます。

そのきっかけをつくったのがウィーンの医師、ヨセフ・ブロイエルです。

彼の患者のアンナという少女吐き気やは様々なヒステリー症状に悩まされていました。耳が聞こえなくなったり吐き気や食欲不振、理由の解らない恐怖で水を飲むことが出来ない等、です。

最初はブロイエルは(おそらく)直接暗示によって治療を行っていましたが、結果がはかばかしくなかったので、ある日彼は催眠中にアンナに思いつくままに話をしてもらいました。

彼女は過去に体験した不愉快な経験を次から次へと思い出し、それを話すことで激しく感情を吐き出し、それぞれの症状が解明されると同時に、症状も消えたそうです。

アンナが水を飲めなくなった理由、それは数年前に彼女が大きらいだった家庭教師の先生がコップから直接犬に水を飲ませているのを目撃したことに端を発していました。彼女は「汚い」という言葉を飲み込み、それがきっかけで水が飲めなくなってしまったそうです。

まぁアンナも極めて繊細な少女だったのでしょう。様々なヒステリー症状に悩まされるくらいですから。でも、犬に直接コップから水を飲ませるのはなぁ・・・。tokageもネコ好きですが、ネコと食器をシェアするのは無理です(爆)。

ブロイエルがアンナに行った治療法はカタルシス療法と呼ばれるようになりました。ブロエルの友人にかのフロイトがいます。彼の活躍は次に・・・。


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催眠療法への長い道のり② [ヒプノセラピー]

よくよく考えたら。ヒプノの歴史を語る前に、ヒプノセラピーについて語ったほうがよくね? とブログをUPしてから気付きました。これじゃタイトルに偽りありですよ。

無計画に物事を進めるからこうなるんだな、オレ。みなさんもこういう大人になっちゃいけませんよ。

さて。新天地を求めてフランスに渡ったメスメルですが、結局フランスでも同業者達の反感を買い、あえなくかの地を去ることとなりました。ですが、動物磁気説が完全に葬り去られたわけではありませんでした。

ドイツでは動物磁気の研究が盛んに行われていましたし、スイスで余生を過ごしていたメスメルの元には、各国の優秀な医師達が教えを乞いに訪れていました。

1815年、ポルトガル出身の僧ファリア師が、患者を言語暗示による人工的な睡眠状態にもって行くことに成功しました。

メスメリズムでは患者に触れるパス法や太鼓のリズムなどで患者を催眠状態に導いていましたが、ファリア師は患者に向かって「眠れ」と叫ぶと、患者はそのまま眠ってしまったといいます。

このことにより、ファリア師は動物磁気が引き起こすと考えられていた状態は、磁気を受ける側の想像の作用(=暗示)であるという見解を発表します。

しかしせっかくファリア師がこの見解を発表しても、依然メスメリズムは健在でした。とゆーか、みんなファリア師の見解が理解できなかったんじゃないかと思われます。

ファリア師自身も、暗示という心理システムに対して、漠然とした概念しか持っていなかったようですし・・・。

メスメルを追放したフランスでも再度メスメリズムが盛り返しましたが、トランスに入った被術者に未来予知をさせたり透視をさせたりと、オカルト的な様相を帯びる者もいたそうです。

一方で真面目にメスメリズムによる医学的な治療を研究する医師もたくさんいました。それがジョン・エリオットソンとジェームズ・エスデイルです。

ジョン・エリオットは1830年代後半、磁気麻酔による無痛手術を大学病院で行いました。この時代、クロロホルムなどの麻酔薬はまだ開発されていませんでした。

この手術は非常に画期的なものでしたが、同僚の医師達は彼の行いを認めることなく、病院での磁気麻酔による治療を禁止しました。

同じ頃、ジェームズ・エスデイルもインドの病院でメスメリズムによる麻酔手術を行っています。

彼は3000回以上の無痛手術を行って数々の成功を収めました。それまであった50%の死亡率を5%程度に減らしたのです。

クロロホルムが誕生する前の手術がどういうものかと言いますと、戸板などに患者を縄で縛りつけ、そして患部をナイフで切り開くのだそうです。

どー考えてもこれは死ぬわ。痛みのあまりショック死しますよ。まさにエスデイル様様です。しかし彼の行為も医師仲間に認められず、帰国後、彼は裁判にかけられました。

45%減の死亡率とか、3000回以上の手術の成功等に眼を向けないあたり、パイオニアに対する男たちの嫉妬としか思えないんですけど?? どーなん???

さて、ここからはtokage家のヒストリーです。

第二次世界大戦中、tokageの大叔父が盲腸の手術を受けるました。当時、薬は戦地優先。大叔父は麻酔なしで手術を受けたそうですが・・・手術終了、大叔父が悲鳴を抑えるために口にくわえていた手ぬぐいはズタズタになっていたそうです。

この頃、催眠麻酔が使われていれば、大叔父がこんな痛い思いをしなくても済んだのにと思うと、めっちゃ恨めしい。

言語による暗示催眠状態をヒプノティズム(催眠)と名付けたのは、イギリスの外科医、ジェームズ・ブレイドです。

彼はアンチ・メスメリズム派だったのですが、メスメリズムの実演会で被験者が目を開けられなくなってしまったのを目の当たりにして、俄然メスメリズムに興味を持ち始めます。

彼は被験者が眼を開けていられなかったのは、一点をじっと見つめていたせいではないかと考えました。

そこで妻や友人を被験者にして、自ら実験してみることにしました。案の定、ふたりとも瓶の一点を見つめているうちに眠ってしまいました。これが現在でも誘導の時に使われている凝視法とよばれる方法です。

正確には二人ともトランス状態に入ったわけですが、この「眠り」の状態をブレイドは従来の「メスメリズム」という言葉ではなく、ギリシャ語で睡眠を意味する「ヒプノティズム」と名付けました。

ブレイドさんが暗示によるトランス状態を「ヒプノティズム(睡眠)」と名付けたことによって、催眠=睡眠のようなイメージを持たれることになってしまいましたが、かと言って、「タナトス(死)」と名付ける訳にもいくまいよ(爆)!

その後、ブレイドは眼の不自由な人を言語暗示によって催眠にかけ、凝視法のみが催眠誘導ではないことに気付きます。それ以降、催眠は言語暗示が主流となっていきます。

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催眠療法への長い道のり① [ヒプノセラピー]

久しぶりにブログを書く時間が出来たものの、しばらくブログから離れていると書く事が思い浮かびませんなぁ。

という訳で、ヒプノセラピーについて色々詳しく説明することにします。

色々なセラピーやセッションがメジャーになりつつある昨今ですが、まだまだヒプノセラピーはメジャーではないような気がします・・・。

なーんて言っていたら、魔女仲間のLucy嬢(旧むめみつき嬢)曰く、「過去生療法やインナーチャイルドで検索してくる人はいるよ」と。

あ、そーなの。過去生療法もインナーチャイルドも、実はヒプノセラピーの手法です。

日本でヒプノセラピーという言葉が有名になったのは、ブライアン・L・ワイス氏の著書、「前世療法」でしょう。tokageが十代の頃だったかなー。アメリカから有名な催眠術師がやってきて、TVカメラやステージで大勢の人に催眠術をかけるショーをやっていましたね。あれのお陰で、日本では「催眠=イロモノ」のようなイメージが生まれてしまったかもしれません。

もっとも古い欧米のB級ホラー&サスペンス映画なんかでは、怪しい催眠術師がヒーローやヒロインに催眠をかけて、自分の思いのままに動かす・・・なーんてやっていますから、「催眠=怪しい」は全世界共通のものなのかもしれません(笑)。

ではヒプノセラピー(催眠療法)はいつ頃誕生したのか?

みなさん驚かれるかもしれませんが、実は催眠療法そのものは紀元前から存在していました。

古代エジプトでは「眠りの寺院」と呼ばれるヒーリングセンターがあっちこっちにあり、人々は病気や怪我をすると、眠りの寺院に足を運びました。

寺院に入ると僧侶達が唱える呪文によって眠らされ、人々は夢の中で治療や薬のお告げを受けたり、中には怪我・病気そのものが治ったりしたそうです。

パピルスに残された最も古い催眠の記録は紀元前3766年、チッチャ・エム・アンクという呪術師が数々の治療を行ったことが記されています。

この「眠りの寺院」は時代と共に古代ギリシャ~古代ローマへと広がっていきました。医学の父と呼ばれるヒポクラティスも催眠療法を行っていたといわれています。

しかしキリスト教が広まるにつれて、しだいに催眠療法は廃れてゆき、変わりに登場したのがロイヤル・タッチです。

これは国王や高位の聖職者などに触れられたり、踏まれたり、唾を吐きかけられたりすると、病気が治ったり、見えなかった眼が見えるようになったり、動かせなかった足が動かせるようになったりしたそうです。

このロイヤル・タッチで有名なのがローマ皇帝ウエスパシアヌス(在位紀元69~79年)、11世紀イギリス国王エドワード懺悔王、同じく11世紀ノルウエーのオーラフ2世、16世紀フランス国王アンリ4世です。

まぁ王になるくらいですから、本人達も強烈なパワーを持っていたのは確かでしょう。民衆も「王様に触れられてありがたや~やありがた~」という気持ちがあったからこそ、治ったわけです。しかし唾って・・・(汗)。うん、まぁ時代だよね、時代。

近代催眠に大きな影響を与えたのが、18世紀のウィーンの医師、フランツ・アントン・メスメルです。

メスメルは宇宙には動物磁気と呼ばれるエーテル体が満ちていて、この磁気の調和が崩れると病気になると考えていました。そして不足した磁気を患者に補充することによって、病気が治ると信じていました。これをメスメリズムと言います。

元々メスメルは磁石を使って患者達を治療していましたが、ある時磁石を忘れてしまい磁石なしで患者を治療出来たことから、自分の体には動物磁気が満ちていて、自分が病人に触れると病気が治ると考えるようになったそうです。

現代医学の知識からすると発憤ものですが、スピリチュアルヒーリングの世界ではスタンダードですよね。ひょっとしたらメスメルは生まれつきreikiヒーラーだったんでしょうかね?

もちろん彼は患者に触れただけではなく、治療院に神秘的な内装を施したり、豪華なマントを着たり、荘厳なバロック音楽を流したり、特殊な装置を使ったりと、患者の期待をよりいっそう高めるあれやこれやの工夫をしていたそうです。

患者は治療院に入ると、メスメル特製の特殊装置についている鉄の棒を握らせます。やがて明かりが消え、荘厳な音楽が聞こえてきます。そこに豪華なガウンを纏ったメスメル大先生のご登場です!!

メスメル大先生は患者一人ひとりに触れると、患者は痙攣したり悲鳴を上げたり身体が震えたり失神したりします。それがどんどん周囲に広まり、一種の集団ヒステリー状態になります。そして正気に返った頃には、あら不思議、治っているわ。に、なるわけです。

ぶっちゃけ、宗教行事やお祭り、占い師の館のやり方そのものです。まさに信じる者は救われる。

メスメルは多くの患者を診るようになり、盲目のピアニストの目を治したりしました。メスメルの評判はどんどん高まりますが、その為に他の医者たちからの嫉妬を買いました。彼らの陰謀によりメスメルはいんちき、詐欺師と呼ばれ、ウィーンを追われました。

何時の世も、嫉妬とは厄介なモノ。


メスメルが活路を求めて向かったのがパリです。パリでもメスメルの治療院は大繁盛し、なんとメスメルはマリー・アントワネットにお気に入り扱いされていたそうですよ。

とりあえず長くなるのでここまで。





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時間差攻撃 [ヒプノセラピー]

「時間差攻撃」という言葉を使うたび、心の中で「アタック~アタック~なーんばぁーわん」と歌いたくなるtokageは昭和っこ。

時々ブラッシュアップを兼ねて、魔女仲間達とヒプノの練習をします。略して「ヒプ練」。

以前ヒプ練をした時では、tokageは英国の貧民街に住む12・3歳くらいの女の子の過去生に戻りました。

過去生のtokageは父親と二人暮らしでした。父親は上流階級のぼんぼんだったのですが、事業に失敗して金も屋敷も失い、追い討ちをかけるように妻にも逃げられ、そのやるせなさと苛立ちを酒と娘を殴ることで、晴らしていました。

娘であるtokageは黙って殴られていました。行く場所がなかったって言うのもありますが、やはり父親を愛していたのと、恩義を感じていたからです。なぜかと言うと、tokageは父親の本当の子供ではなかったからです。

tokageの母親は上流階級の出だったんだけど、その時代の未婚の娘さんには珍しく秘密の恋人がいました。

ところがtokageを妊娠したとたん相手に捨てられ、全てを承知の上で、tokageの義父が母にプロポーズしたのでした。パパ、良い人すぎる(涙)。

ところが。母親はパパが事業に失敗したとたん、よりを戻した昔の恋人だか、新しい恋人だかと共に、まっさきに家を飛び出していったのでした。

いいとこじょんの割りに、ずいぶんビッチだこと。

そこで「12・3歳の頃に父親が破産」 → 「結婚適齢期に父親が破産」に過去生の書換えを行いました。

別に破産に拘らなくても、「ずっと両親が仲良く暮らしました」でも良いはずなのに、あくまでも母親を排除しようとするこの姿勢。よっぽど母親が許せなかったんですねー。

書き換えられた過去生で、tokageはそこそこ小金持ちの男と結婚し(←ここがまた泣かせる。王侯貴族と結婚にすりゃーいいのに)、父親に安楽な暮らしをさせることが出来ました。

神聖なる結婚を完全生活の手段と見なしている時点で、母娘の血は争えないと思われ。

まぁ、昔は女性が働く場所なんて精々が家庭教師か秘書、お手伝い、お針子くらいで、お給料は雀の涙ほどですし、仕方ないと言えば仕方ないんだけど。

ヒプ練はそこで終わったのですが、その夜お風呂に入っていると、いきなり書き換えた筈の前世の光景が浮かんできました。

極貧生活から逃れられたにも関わらず、父親は失った財産や屋敷、妻を思って、ずーーーーーっと愚痴っているのでした。それを宥めながら、tokageは逃げ出した母に同情していました。

生きる事に貪欲だった母親にとって、いい人かもしれないけど前向きじゃない父親は、一緒にいて辛かったんだろうな。

と思ったら、目の前にふわっと母親が現れて、

「自分に正直に生きるのが一番幸せよ」


と言って消えました。

・・・・・・確かに自分の心に生きるのが一番幸せでしょう。どんな状況にあっても。

しかしなー。絶対損な生き方をしない為に義理も人情も親子関係も平気で踏みにじってきた女に諭されても、ビミョーに納得できん!!

ヒプノには、時にはこう言う時間差攻撃もあるんだよーという事で。

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夢と現の狭間で② [ヒプノセラピー]

ヒプノ状態に入っていながら、なぜ「(ヒプノに)入っていない」と思ってしまうのか?

セラピストの説明不足もあると思いますが、ヒプノを説明した本や映画などの影響もあると思います。

ヒプノを世界的に有名にしたのがワイス博士の著書「前世療法」だと思いますが、あれは本と言う形式になっているので、読者の脳裏に映像が浮かぶような描き方になっていますね。では、みなが同じように映像を見ることが出来るのか?

答えは「No」です。

ヒプノに入ったとき、映像が見える視覚派、音声で捉える聴覚派、そして感覚で感じる感覚派と、それぞれのタイプがあります。それぞれ自分の得意な感覚を駆使して、潜在意識を捉えていくのです。

たとえば舞踏会で踊るお姫が前世で出てきた場合、

視覚派の人は、きらびやかな広間や美しいドレスを身にまとった人々を思い浮かべます。

聴覚派の人は、オーケストラの音色や衣連れの音が聴こえます。

感覚派の人は、コルセットの締め付け具合や、踊っているお姫さまの胸の高鳴りを感じるかもしれません。

一つの感覚だけで潜在意識の世界を渡っていく方もいらっしゃいますが、実際には2つ、3つ使っていると思います。

tokageの場合、感覚80%、視覚20%という所でしょうか。

いちおう映像は見えているのですよ。でも映画の様に流れるものではなくて、どちらかといえばスライドみたいです。

一つの映像が出てくると、その前後の見えていない部分や流れまで、全て感覚で解かる感じかな。解かりづらい表現で申し訳ない(苦笑)。

ただ聴覚がまったく働かないので、名前とか聞かれても答えられないのですよねー。

まれに臭覚が働く方、あるいはアニメやマンガで見える方もいます。なので見た事のあるアニメ画が出てきても、「これは私のイメージが作っているのね」と思わなくて大丈夫ですよ。潜在意識が言いたいことを伝える為に、そのアニメ画を使っているのです。

こんな説明ですが、ヒプノ(催眠)状態がどんなものか、わかっていただけたでしょうか?

(めずらしく)頭使いながら書いたので、ちょっと疲れました~。
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夢と現の狭間で① [ヒプノセラピー]

すでにご存知かもしれませんが、tokageはお友達であるユーフィーさんのお店ベルチェレスタさんにて、クリスタル・グリッド・リーディングなるものをさせていただいております。

リーディングと銘打っていても、実際にはヒプノあり、ヒーリングもありですので設定している1時間ではセッションだけで精一杯。内容や効果について詳しく説明している時間がありません。

最低でもヒプノ(催眠)について詳しく説明する必要はあるよなー、とは思っているのですが(涙)。

そこで「催眠状態に入るとはどんな状態か」をここで説明したいと思います。

私達の意識は普段使っている「顕在意識」と、「潜在意識」の二つに分かれます。

顕在意識は私達の理性や知性、意志の力を司っていますが、これは全体意識のわずか10%にすぎません。

実は私達の意識の80%を潜在意識が占めているのです。潜在意識は感情や想像、生まれてから現在に至るまでの記憶やプログラミングなどを司っています。

二つの意識の間には薄い膜がかかっているので、意識的に顕在意識から潜在意識にアクセスすることは出来ませんが、潜在意識はつねに顕在意識に働きかけ、思考や行動パターンに影響を及ぼしています。

たとえば子供の頃に犬に噛まれたという事実を忘れてしまっても、潜在意識は全部記憶しているので、大人になっても犬を前にすると、なんとなく足がすくんでしまう・・・という現象を引き起こしたりします。

この潜在意識にアクセスするには、深いリラックス状態になることが必要です。人為的にリラックス状態、アルファー波が出ている状態に導いていくのが催眠・・・ヒプノセラピーです。

超!ざっくりな説明ですが、お解りいただけましたでしょうか? さて、ここからが本題の「催眠状態に入るとはどんな状態か」? ですが。

意識が覚醒している状態(顕在意識)から、潜在意識へと向かう状態の事を、変性意識状態(トランス)と言います。

トランスというと、目がいっちゃって怪しいことを叫んでいるようなイメージがありますが(笑)、これは日常でも普通に起きている現象です。

たとえば夢中になって本を読んでいる時や、空いている電車に乗ってボーっとしている時、単純な作業に打ち込んで時間を忘れているような状態を、変性意識状態と言います。

では、ヒプノ(催眠状態)に入っている状態における変性意識とは、どのような状態かと申しますと。

tokageの体験から言わせていただくと、「うたた寝している状態」に似ているかな。

うたた寝しているとき、私たちは家族の足音やドアの閉まる音、新聞配達のバイクの音等、いろんな物音を聞き分け、周囲の状況を判断しています。

半醒半睡のもっともリラックスしている状態が、「催眠に入っている」状態と言う訳です。夢と現の狭間ですね。

なので「周囲の物音が聞こえていたから、催眠に入っていなかった」とか「自分の意識がはっきりあったから、催眠に入っていなかった」と思う必要はありません。

では、なぜ「催眠に入っていなかった」と思ってしまうのか。長くなるので、いったん切ります。
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