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催眠療法への長い道のり④ [ヒプノセラピー]

これまで「潜在意識と顕在意識の架け橋」というタイトルで催眠療法ヒストリーを書いてきましたが、どーも内容とタイトルが合わないので、今回から変えることにしました。カテゴリも「スピ豆知識」から「ヒプノセラピー」に移しました。以前のタイトルはまた別の記事で使います。

さて前回の続き。

カタルシス療法を発見したブロイエルの、友人の名をジークムント・フロイトと言います。そう、あの精神分析学の権威のフロイトです。

精神分析の権威が実は催眠畑出身だったというのは意外な事実ですが、催眠療法の歴史の長さを考えるとまぁ、ありかなと。

元々フロイトは自然科学者でしたが、留学奨学金を得てフランスで催眠を学び、ベルネームの指導を受けたこともあります。彼はウィーンに戻ってから、ブロイエルと協力してヒステリーの研究に当たり、精神治療の分野に新しい観点をもたらしました。

ブロイエル&フロイトは、ヒステリーの背景には過去の不快な経験や苦痛な出来事が存在している点に注目し、そのときの不快な感情や記憶が無意識の中に抑圧されてしまったために、症状が引き起こされるのだと考えました。

そこで催眠中に問題の原因となった過去の記憶を思い出させ、心の底に押し込められている感情を発散させてやれば症状はなくなると考えました。これをカタルシス療法と呼びます。

カタルシス療法は、それまでの暗示によって症状を取り除く従来の催眠療法とは異なる画期的な療法でした。と・こ・ろ・が!

このカタルシス療法によって症状が消えても、しばらくするとぶり返してしまうという現実に突き当たりました。

せっかく編み出した治療法が無意味だったことに絶望したのか、結局フロイトは治療に催眠を使うことをやめ、心の中に浮かんでくることを思いつくままに話してもらうという、自由連想法を生み出しました。これが精神分析の始まりです。

フロイトはあまり催眠の技術に関しては優秀ではなかったようで、やがて催眠を離れていきます。この事で精神医学における催眠治療の地位は失墜していきます。

フロイトが催眠を退いてのちも、一部の研究者達は地道に催眠の研究を続けていました。

催眠療法がふたたび日の目を見るようになったのは、第一次世界大戦以降の事です。第一次世界大戦は「兵器がもっとも進化した戦争」と呼ばれ、その後遺症に苦しむ人々をたくさん生むことになりました。

以前TVでその当時のフィルムを見たことがありますが、毒ガスや爆弾の爆音などで神経を侵され激しい痙攣症状などを起こす元兵士達がフィルムに納められていました。

たとえ五体満足で戻ったとしても、戦地で常に死の危険にさらされ続けた兵士達は、その恐怖や不安、葛藤や喪失感に悩まされるだけでなく、戦闘場面の記憶がフラッシュバックして苦しめられます。これが戦争神経症です。今で言うところのPTSD(心的外傷後ストレス障害)です。

大量に発生した戦争神経症の患者に対して、精神分析では対応しきれなくなりました。時間がかかりすぎることと医師の不足です。そこで短期間で治療が行える催眠療法が注目されるようになりました。
 
英国のハドフィールドは患者をトラウマとなった戦争場面まで退行させ、そのときの恐怖やショックを解放して症状を取り除きます。これはブロイエルの行ったカタルシス療法を取り入れたものです。これによって大勢の戦争神経症の患者が救われました。

しかし催眠治療が医学の世界で正式に認可されるようになったのは、第二次世界大戦後の事でした。

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